ヨガスートラのヨガ八支則をわかりやすく解説!ヤマ・ニヤマとは?

ヨガスートラの八支則とは?

この記事では、ヨガスートラのヨガ八支則をわかりやすく解説します。

ヨーガ哲学は、古代インドの精神的な教えであり、人間の本質や宇宙の秩序、人生の目的について深く考える学問です。

ヨーガ哲学では、人間の本質的な存在についての考え方が重要です。

人間は物質的な身体だけでなく、精神や意識の側面も持っているとされています。

また、ヨーガは「ヨーガ=統一」という意味を持ち、個人の心や意識を宇宙の意識と統合することを目指します。

ヨーガの根本的な目的は、個人の苦しみを解消し、真の幸福や自己の覚醒を追求することです。

このようなヨーガの哲学的な原則や教えは、主に「ヨーガ・スートラ」という古代のテキストにまとめられています。

ヨーガ・スートラは、パタンジャリという古代の哲学者によって纏められたもので、ヨーガの実践方法や心の状態に関する洞察を提供しています。

ヨガの教えには、八支則(はっしそく)という8つの段階の行法があります。

八支則は、パタンジャリが説いたヨガの聖典「ヨガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えの一つです。

「ヨガ・スートラ」とは紀元前3世紀頃~6世紀頃に書かれたヨーガについて理論的に解説した最古のテキストです。

この「ヨガ・スートラ」ですが、なかなか難解で、8つの段階の八支則を最初から順番に書いてあればわかりやすいのですが、第1章で第8段階であるサマディを解説しているので、ヨガ哲学初心者が最初から読むとよくわからなくなります。

そこで、ここではこの八支則について簡潔にわかりやすく解説します。

特に、八支則の最初の2段階であるヤマ・ニヤマ(10の教え)について詳しく解説しました。

なお、本記事は以下の2冊の書籍を参考にさせていただきました。

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ヨガ・スートラとは?

ヨーガ・スートラは、古代のヨーガの教典であり、ヨーガの理論と実践方法を体系化したものです。

この教典は、瞑想や内省を通じて心と身体を統一し、個人の内なる真理や解放を追求するためのガイドブックとして機能します。

ヨーガ・スートラは、約200の短い節(スートラ)で構成されており、それぞれのスートラは重要な教えや原則を表しています。

スートラは簡潔で密度の高い表現であり、深い哲学や精神的な洞察を伝えるために使用されます。

これらのスートラは、ヨーガの実践者が自己探求を進める際の指針やインスピレーションを提供します。

ヨーガ・スートラの著者であるパタンジャリについては、彼の生涯や詳細な情報はほとんど知られていません。

パタンジャリは、多くの学者やヨーギによって尊敬され、彼の名前は「ヨーガの父」とも呼ばれています。

彼はヨーガの理論や実践方法をまとめ上げ、それをヨーガ・スートラという形で後世に伝えたとされています。

八支則とは?

「ヨガ・スートラ」とは、編纂者はパタンジャリとされ、口頭伝承で伝わっていた教えを集め、まとめ、サンスクリット語で書き記したヨガの格言集です。

「ヨーガ・スートラ」の中で重要な概念の一つは、アシュタンガ・ヨーガ(八支則のヨーガ)です。

八支則は以下の8つの段階からなります。

  1. ヤマ(禁戒):ヨガ哲学でやってはいけないこととされる5つの戒め
  2. ニヤマ(歓戒):ヨガ哲学でやるべきこととされる5つの教え
  3. アーサナ(ポーズ):座法、ヨガのポーズに関すること
  4. プラーナーヤーマ(調気法): 呼吸法に関すること
  5. プラティヤハーラ(感覚制御): 感覚の抑制に関すること
  6. ダーラナー(集中): 集中に関すること
  7. ディヤーナ(瞑想状態):瞑想に関すること
  8. サマーディ(三味): 悟りに関すること

なお、「ヨガ・スートラ」についてもっと学びたい方はこれらの本を参考に。

また、ヨガスートラの歴史的背景などヨガやインド哲学について詳しく学びたい方は以下を参考にしてください。

ヤマとは?【八支則の第一段階】

Moenjodaro

ヨーガの八支則の第一段階は「ヤマ」です。

ヤマは「禁成」と訳され、5つのやるべきでないことを遵守する段階です。

ヤマは簡単にいうと日常生活で行なってはいけない心得のことで、以下の5つがあります。

  1. アヒムサ(Ahimsa)非暴力、不殺生
  2. サティヤ(Satya)嘘をつかない・正直
  3. アスティヤ(Asteya)不盗
  4. ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)禁欲
  5. アパリグラハ(Aparigraha)不貪

日頃の努力で、上記のヤマ(気をつけるべきこと)が自分の習慣となり、考えなくてもあたりまえのように自分の行動がいつも正しくあるようになるまで続ければ、必ず心の浄化という結果は現れます。

アヒムサ(非暴力・不殺生)

ヤマの最初の戒律はアヒムサ(Ahimsa)非暴力です。

パタンジャリはまずこのアヒムサ(暴力)を止めることから始めることを私たちに奨励します。

暴力と聞いて最初に思い浮かべるのが殴る、蹴るなどの肉体的な暴力ではないでしょうか。

しかし、アヒムサという戒律が戒めているのは単に肉体的な暴力だけではありません。

実質的に行動で暴力や殺してはいけないというのももちろんですが、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけないということです。

つまり、「誰に対しても怒りを抱くな」という意味になります。

「暴力」という言葉は「カ」が「暴れる」と書くとおり、何かしらの力が暴れだし制御不能になってしまった状態を指します。

ヨーガでは私たちが何かを行う時、「思い(意)のレベル」、「言葉(口) のレベル」、「身体(身)のレベル」の3つのレベルで見ます。

これらの意・口・身という3つのレベルの行いは仏教で「三業」と呼ばれます。

このうち「思いのレベル」はもっとも繊細なエネルギーでできており、思いのエネルギーが強くなると言菜が生まれ、言葉のエネルギーが強くなると行動が生まれます。

アヒムサを行う時もこの意・口・身の3つのレベル全てを考慮に入れる必要があります。

たとえ肉体的な暴力を振るわなくても、かっとなって言葉がコントロールできなくなり口汚い言葉を吐いてしまえば、それは言葉の暴力になります。

そして口汚い言葉を使わなくでも、心の中が嵐のような暴力的な思いが渦巻いていればそれは暴力になるのです。

身体のレベルや言葉のレベルにおける暴力は慎むことができても、心のレベルの暴力まで完全に制御するのはなかなか難しいものです。

しかし、そんな心のレベルの暴力まで完全に制御することができた時、パタンジャリは「全ての敵対が止む」と断言しています。

敵対というのは相反するもの同士がぶつかり合って生じる事態です。

たとえば相手がムッとするようなことを言ってくると、私たちの多くが無意識に相手の思いを押し返そうとします。

たいていの場合、厳対関係はこのように対立する者同士の無意識の暴力の押し合いが生み出しているのです。

相手がムッとするようなことを言ってきた時、非家力の戒律を思い出し、暴力的になりそうな自分に気づくことができれば、冷静に判断を下し、暴力的な思いをストップさせることができます。

サティヤ(嘘をつかない)

ヤマの二つ目の戒律はサティヤ(Satya)です。サティヤ(Satya)とは「嘘をつかない」「正直」ことです。

「正直」である、「嘘をつかない」というのは自分の使う言葉に一貫性をもたせ、言葉に対して尊敬の念を払っていくことなのです。

嘘をつくとはどういうことでしょうか?

嘘に関しても先述の意・口・身という3つのレベルで考えていく必要があります。

多くの場合私たちが人を「嘘つき」と呼ぶのは、言葉にしたことを実行しなかった時ではないでしょうか。

言ったのにやらない。これは明らかな嘘です。

しかし、ヨーガ的に考えると嘘にはもう一段階精妙なレベルがあります。

それは「思っていることをそのまま口にしない」という嘘です。

たとえ方便のための嘘であっても、思い (意) のレベルと言葉(口)のレベルに矛盾が生じればヨーガの観点からすると嘘になってしまいます。

たとえば気の乗らない食事に誘われた時、体調は絶好調なのに「調子が悪いので」と言って誘いを断ったとすれば、心のレベルで起きている状態と口に出した言葉が指す状態がちぐはぐになってしまいます。

これはヨーガの観点からすると嘘になります。

ではこのような状況の時はどのようにすれはよいのでしょうか?

「あなたと食事に行きたくないのでいきません」と揃ったのではストレートすぎて相手を傷つけてしまいます。

「今日は用事があるのでやめておきます」たとえばこう答えてみたらどうでしょうか。

家に帰ってテレビを見るのも部屋の掃除をするのも用事は用事です。

用事はきちんとあるのですから、思いのレベルと言葉のレベルに矛盾はありません。

このように、もちろん言葉をきちんと選ぶ必要はありますが、思いのレベル、言葉のレベル、身体のレベルという3つのレベルにおいてつねに整合性を保つことが本当の意味での正直の実践につながるのです。

つねに心から思っていることを口にし、口にしたことは実行に移していくことで、意・口・身という3つのレベルのエネルギーの整合性を整えていくと、言葉に非常に強い力が生まれるようになります。

私たちは嘘に対して非常に敏感です。たとえ心のレベルの嘘であろうと、直感的にそれを見抜く力をもっています。

言葉をぞんざいに扱い、意・ロ・身という3つのレベルで整合性がとれていない人に対しては無意識に不信感を抱くものです。そして、不信感を抱いた人とは自然と距離を置くようになります。

逆に意・口・身の整合性の取れた相手に対しては信類感を抱きます。

スートラに『嘘をいわないことを守り抜けば、その人の発言すべてが、本当のことになります』とあるように、人は嘘をつかないで正直に何年も過ごし続けると、正直者が言う事はすべて現実となるとあります。

真実を語ることでこれからの未来が具体化し、真実になるということです。

アスティヤ(不盗)

アスティヤ(Asteya)とは「不盗」ということで、「人のものは盗むな」ということです。

他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけないということですが、約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。

『人の物を盗らないことが習慣になった時、大事な物をすべて手に入れることができます』とスートラにあるように、人の物を勝手に使ったり、盗んで自分の物にしたりという行為をしないようにすることで、自分にとって必要な物や大事なものは向こうからやってくると言われています。

家族・親友だろうが人の物を盗んで生活することは、いつかばれることの不安に永遠に縛られる恐れがあるため、絶対に人の物を盗まず、不安な気持ちが出てこないようにすべきであるということです。

ブラフマチャリヤ(禁欲)

ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)とは「禁欲」を意味します。

ブラフマチャリヤはヤマの4つ目の戒律で、目の前に広がる世界の背後に存在する神である「ブラフマン」と規範を守る者の意である「アーチャリヤ」の2つの言葉からなりたっています。

文字通りに訳せば「神の教えを守る者」という意味で、この戒律は一般的に「禁欲」として知られ、特に、性的な欲望を抑える戒律です。

ヨーガの実践者の大半が男性であった2000年ほど前、男性の射精は多大なエネルギーが失われ、性欲の虜になると、その他の有意義な行為を行うためのエネルギーが不足してしまうのでブラフマチャリヤはそんな男性たちの性欲を戒めるための戒律で、生涯を独身で過ごすことが説かれていました。

現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避けるようにということと理解されています。

生命エネルギーは必要なところに集中させるべきで、欲望に対して自分のエネルギーを浪費しないように気を付けるべきです。

スートラには「規則正しい生活が自然にできるようになった時、精神的な力と望みを叶える強さを得ます」と書かれており、規則正しく生活することつまり、夜更かしなどを繰り返すような生活をしたり、だらしなく無駄な時間を過ごすような生活だと、体がだるくてほとんど集中して作業をすることが難しくなります。

しかし、朝は決まった早い時間に起きてしっかりご飯を食べ、やるべきことを集中して行い、夜は遅くまで起きてスマホをいじっているのではなく早く朝に備えて寝る誰もが健康的で規則的な生活を行うことで自分の中に隠れている力を発揮することが出来きます。

規則正しい生き方によって、人はゴールを達成する力、精神力、スピリチュアルな探求を目指す高い志と誘惑に負けない強さを得ることができるのです。

性欲以外にも人間には三大欲求である睡眠欲、食欲があり、これらの欲も性欲と同じく、溺れてしまうと私たちの身体から多くのエネルギーを奪う可能性があります。

私たちが日々の中でエネルギッシュではないと感じ、すぐに疲れてしまう場合は、この性欲、食欲、睡眠欲のバランスを見直す必要があり、バランスを整えることでリフレッシュでき、身体の調子が良くなります。

アパリグラハ(不貪)

ヤマ5つ目の戒律は「アパリグラハ」(Aparigraha)という戒律です。

「ア」は否定形を表す接頭語であり、「パリグラハ」は「貪る」という意味である2つの語を合わせて「アパリグラハ」で「貪ることなかれ」といった意味になります。

「アパリグラハ」は何か1つのことに固執し、視野が狭まっていることを戒める戒律であり、必要以上に何かを求めてはいけないといった意味です。

私たちは往々にして今あるものに満足できず、もっともっとで必要以上に求めてしまう生き物です。

生活するのに困らないお金を持っているのにも関わらず、さらにお金を稼ぐことを考えてしまったり、お腹いっぱいのはずなのにもっと食べたいと求めたりします。

次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない、程度を超えた欲を持たないということであり、何かを必要以上に所有しないということです。

必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。

アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらします。

今の自分に本当に必要な物だけを持つこと、何かを抱え込んだり、無駄なものを所有したりと、持ち物・体・他人の持ち物などに執着せずにすっきり生きることが重要です。

つまり、無駄なものや関係に頭を悩まし、不満やストレスを抱える代わりに、必要なことにフォーカスすることで意味のある人生にすることができます。

必要のない物を持たず、自分の前にやってきた物事を喜んで受け入れ、本当に必要な物に満足することにより、物や人と客観的に調和のとれた関係を築く事ができるようになります。

このような考えは一種の断捨離にも通じますね。

「手放す」「執着しない」という教えはアッビャーサ(修習)とヴァイラーギャ(離欲)とは?で詳しく解説しています。

参考にしてください。

ニヤマとは?【八支則の第二段階】

古代ヨガ哲学

ヨーガの八支則の2段階は「ニヤマ」で、「勧戒」と訳され、簡単にいうと日常生活で実践すべき5つの行いのことです。

以下の5つがあります。

  1. シャウチャ(Saucha)清浄
  2. サントーシャ(Santosha)満足・知足
  3. タパス(Tapas)苦行・自制
  4. スヴァディアーヤ(Svadhyaya)読誦・学習・向上心
  5. イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)信仰

シャウチャ(清浄・浄化)

ニヤマの1つ目の戒律は「シャウチャ」(Saucha)であり、「清浄、浄化」です。

ニヤマはすべてにおいて清潔さを保つことを奨励する戒めです。

部屋や衣服の状態や、体のコンディションは、その人の考え、心の中を表しているといわれます。

たとえば、洗っていない衣服から嫌な臭いがしたとき、不潔なのは衣服なのに自分自身そのものが不潔なものとして見られてしまいます。

自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つ、つまり、他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろん、身の回りの空間を清潔に保ちましょう。

心をいつも澄んだ状態にしておくために、嫉妬や憎しみ、怒りや後悔などのネガティブな感情や思考が現れても、受け止めて、うまく受け流すように、捉われることなく、心をサラサラと清流のように流してくことが、心の浄化となります。

自分と他人で比べたりせず、高すぎる理想や執着、体や性格に関するコンプレックスから離れて、体・心・感覚を浄化し清潔を保つことを実行しましょうということです。

サントーシャ(満足・知足)

ニヤマの二つ目の戒律は「サントーシャ」(Santosha)で、これは日本語に直すと「知足」という意味になります。

これは「知る」と「足りる」という二つの言葉が連なっており、自分が既に手にしているものの存在を思い出していくことといった意味になります。

つまり、サントーシャとは、自分が与えられたもの(人・物・状況・体・能力・役割)を抵抗なく受け止めることのできる態度を養うという意味です。

皆それぞれに、困難や目の前に立ちはだかる壁、挑戦しなければならない課題や状況に直面しています。

これら世界に起こることは、全て必要があって起きており、困難を乗り越えることで私たちは自分を鍛えたり、高めたりすることで学びを得ることができます。

自分を成熟させるためには、チャンスと受け止め、変えられることは勇気をもって変える努力をし、一方、変えられない物はそれをそのまま受け止める柔軟な姿勢も大切です。

私たち人間は常に足りないものを補おうとするといった思考があります。

しかし足りないものばかりに目を向け続けると欠乏感が生まれてしまいます。

どんなに恵まれた環境で生きていたとしても足りないものに目を向ければ心は貧しいままです。

しかし、自分が既に手にしているものの存在を思い出すことができれば環境に左右されず、幸せに生きていけると仏陀は言いました。

素晴らしい宝物を手にしているのにもかかわらず、次から次に足りないものを探し続けてしまう人がいますが、どんな人間にも持っている宝物があります。

たとえば足の不自由な人は自由な両足を欲しがっており、私たちにとって当たり前と思っているものでも、一定の人から見てはとても大切なものを持っている人間ということになります。

こういう当たり前のものを我々は持っているということで、あらためて自分の宝物を確認することが大切で、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものなど今あるものに、常に満足することが重要です。

今、どんなに苦しく思える状況でさえも、実は何か成長のためのステップアップの機会かもしれず、今そこに何かしらの判断を加えることは無意味なことです。

人は身の回りのものごとは当たり前だと思い感謝を忘れ、無くしてみて初めてそれが、かけがえのないものだったことに気づきます。

人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求める限り、真の幸福は見つかりません。

自分自身で、今あることに感謝をし満足することが真の幸福への近道だといえるでしょう。

タパス(苦行・自制)

三つ目の戒律は「タパス」(Tapas)です。

これは日本語にすると「苦行」という意味です。

困難な状況を自ら積極的に受け入れるべきであり、ヨーガ・スートラには苦行を続けた結果として超自然力を手にすることができると言われています。

自分の許容範囲内にある事態に対しては対応することができますが、想定外の事態が起きてしまうとそこに軋轢が生まれ、人は苦しみます。

その苦しみを克服することができれば、その範囲まで自分の許容範囲を広げることができます。

強さを培うことが重要です。

ただし、苦行といっても、単に自分を痛めつけたり、我慢したりすることは、上述したアヒムサ(非暴力)に反しますので、どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる範囲で強さを養っていきましょう。

スヴァディアーヤ(読誦・学習)

四つ目の戒律はスヴァディアーヤ(Svadhyaya)です。

スヴァディアーヤとは心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)学習することで、自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むことです。

得た知識を実生活で智慧に昇華させ、人格を成長させることを意味します。

イーシュワラ・プラニダーナ(信仰)

五つ目の戒律はイーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)です。

イーシュワラ・プラニダーナとは、唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げることです。

自らに備わっている神性を信じ、万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすることです。

つまり、自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねることです。

アーサナとは?【八支則の第三段階】

コブラのポーズ

ヨーガの八支則の第三段階はアーサナ(Asana)です。

今ではアーサナといえば、ポーズのことをいいますが、もともとは単なるポーズではなく、瞑想を行なう・深めるための座法のことを指します。

様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくり、また、心と体はつながっているので、身体能力の向上は、心の調整にもつながります。

ポーズは、安定していること、快適であることが理想です。

そして、冷静かつ客観的に、自分の身体感覚や心の状態を観察し、他者と自分を比べたり判断することなく、こだわりをなくし、その空間と一つとなるような感覚で集中しましょう。

プラーナヤーマとは?【八支則の第四段階】

瞑想

ヨーガの八支則の第四段階はプラーナヤーマ(Pranayama)です。

プラーナヤーマとは、呼吸法・調気法と訳され、「プラーナ」は生命エネルギーのことで、「プラーナヤーマ」は、呼吸をコントロールすることによって、体内の見えないエネルギーを調整することを示します。

呼吸と心と体の状態はつながっていて、呼吸が落ち着いて安定してれば心も穏やかで、体はリラックスします。

呼吸のもうひとつの目的は、血液や脳により酸素や影響を与えることです。

なお、理想的に呼吸を深めていくためには、正しい姿勢を心がけることが必要です。

プラティヤハーラとは?【八支則の第五段階】

ヨーガの八支則の第五段階はプラティヤハーラ(Pratyahara)です。

プラティヤハーラとは、感覚の制御と訳すことができ、感覚への意識を深め、繊細に感じることをいいます。

感覚を内側に向ける練習をしなければ、瞑想の境地に到達することはできません。

そのため外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づけ、内的感覚を高めていきます。

ただ、感覚に意識を向け続け、アーサナを実践していても、感覚を我慢したり抑えつけたりするのではなく、それを感じている自分を常に冷静・客観視していくのです。

これは、日々起きてくる様々な出来事や問題に、感情を振り回されるのではなく、何が起ころうともブレない自分を作る精神の鍛錬につながります。

ダーラナとは?【八支則の第六段階】

ヨーガの八支則の第六段階はダーラナ(Dharana)です。

ダーラナとは、意識を特定の対象物に長時間留めておくことで、心が集中すればするほど、一点に向かう大きなパワーが生まれます。

つまり、今この瞬間に考えるべきでない雑念に意識を捕らわれないようにします。

部屋の中が綺麗なら仕事がはかどるように、心の中に様々な雑念がなければ、今本当に必要なことに全力を捧げることができます。

なお、第六段階の「ダーラナ」、第七段階の「ディアーナ」、第八段階の「サマーディ」は、区切りの付けられない一連の心の流れとなります。

ディアナとは?【八支則の第七段階】

八支則の第七段階はディアナ(Dhyana)です。

このディヤーナは一般的に「瞑想」と訳され、中国では「禅那」と呼ばれたりします。

中国から日本に渡り「禅」となりました。

仏教の〈禅〉は、このディアナが語源だといわれており、意識が積極的な努力なしに一方向に深く集中している状態をディアナといいます。

つまり、ディアナ(瞑想)とはプラティヤハーラ(感覚制御)とダーラナ(集中)が深まっている状態で、自分と他を分け隔てなくなった意識の状態で、雑念から解放された無我の境地を意味します。

無我夢中状態になると、意識のエネルギーと対象のエネルギーの波長がぴったり一致し、主観と客観の区別が消失します。

「波長が合う」といいますが、波長が合う人と一緒にいるとき私たちはまるでその対象が自分の一部になったかのような感覚を覚えます。

このとき、時間、空間を認識する「自分」という主体がなくなることで、あっという間に時間が過ぎていくのです。

したがって、この時間の流れがあっという間に感じることが、私たちがディヤーナに入ったという状態といえます。

私たちが何かの対象に集中すると、自然と呼吸数は減少します。

ヨーガではこのような強い集中状態によって自然と呼吸停止することを「ケーヴァラ・クンバカ」と呼びます。

高い集中状態によって対象と完全に波長を合わせると、その対象と戦うことにエネルギーを割く必要がなくなります。

このとき、脳はリラックスし、必要なのは身体の恒常性を維持するための必要最低限の酸素のみになります。

これによって呼吸数が減少し、新陳代謝のスピードも遅くなり、いわば冬眠に近い状態が生まれるのです。

新陳代謝が低下すると老化のスピードも緩やかになります。

反対に、私たち人間は、集中できずにイライラした状態のとき、呼吸は浅く、早くなっていきます。

このとき新陳代謝は高まり、老化も早く進みやすくなります。

つまり無我夢中に何事にも打ち込んでいる人の方が若さを保っており、反対に完璧主義ですぐイライラしてしまう人は老化が早くなるといえます。

サマーディとは?【八支則の第八段階】

八支則の第八段階はサマーディ(Samadhi)です。

サマーディとは三昧と訳され、「超意識、悟り」を意味します。

ダーラナで集中状態に入り、ディヤーナで集中状態をさらに高めることで、やがて集中状態が極限まで深まると、すべての意識は「今この瞬間」に注ぎこまれるようになります。

すると、意識と集中の対象物は完全に波長のあった状態になり、一体化します。

つまり、ヨガの最終目標である悟りの状態になります。

煩悩からの解放され、解脱した状態です。

瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態です。

この境地がヨーガの目指す最終目的地「サマーディ」です。

サマーディには「共に置く」という意味があり、これは「自分」と「自分以外の存在」を共に置くことで「完全なつながり」を示します。

サマーディに入ると、人は光のシャワーに包まれると言われます。

サマーディを日本語に変換した言葉が「三昧」です。
パチンコ三昧というと、集中の対象はパチンコ台で、高い集中状態で玉を打ち続けると、無我夢中状態に入り、人はサマーディ状態には入ります。

ゆえにサマーディも私たちの身近に起きている現象なのです。

人の集中状態は伝染します。

高い集中状態の人のそばでは集中力が増し、イライラした人のそばでは集中力が低下します。

ゆえに深いサマーディ状態の人のそばにいると、その深い集中状態は広がっていきます。

おわりに

ここでは、「ヨガ・スートラ」の八支則について解説しました。

噓をつかず常に誠実でいる、自分にとって必要・大事な物は向こうからやってくるため、わざわざ人の物を盗む行為をする必要がないこと、規則正しい生活をして生きていたら体が健康的になる以外に精神的な力と高い志・誘惑に負けない力がつく、執着のある人生を手放せば新しい知恵が生まれるなど、私たちが生きてくうえでも重要なことが示されています。

ヨガ・スートラはもっと深いものですので、以下で紹介する本を読んでぜひもっと深めてください。

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